【川田 敦子・略歴】
1962年 (昭和37年) 神戸市長田区生まれ。 4歳で油絵スタート、『ねずみのチャーチくん』を描き始める。 神戸市立丸山小学校、神戸市立雲雀ヶ丘中学校卒業(西川孝雄美術教師から毎日放課後デッサンや美術全般を徹底的に学ぶ)。 県立明石高等学校卒業(高校時代すでに「すいどーばた美術学院」に学び東京芸術大学洋画科へ進学希望するも父親の死で断念)。
1986年 甲南大学法学部卒業(財団法人三木記念会特別奨学生)ボディビル関西選手権銀メダリストとしても活動。同大学院進学、研究生で米国コロンビア大学留学。
1987年 Master of Fine Art 転入、Leon Goldin教授に指事。ニューヨークを拠点にパリ、フィレンツェなど海外で制作活動。コロンビア大学MPAとの関連で、ニューヨーク市、国連の難民支援活動の宣伝ポスターなど制作。『都市次元の怪物』『太陽の女たち』制作開始。
1989年 神戸三宮画郎にて初のニューヨークでの作品展。
1990年 アメリカから帰国、東京と横浜を拠点に活動。万里長城の旅へ。トーヨコかなしんギャラリー個展。『シャーマンの女』中央美術展入選 (東京都美術館)。
1991年 神戸「新開地アートビレッジ」実践として廃墟のビル (藤田ビル) で絵画『万里長城』シリーズ制作、ライブペインティング公開。 上海美術館にて、当時日本人初の個展「川田敦子油画展」開催。
1992年 アートホール神戸、サンピア明石、勤労会館など個展多数、三宮京町筋の銀行ショーウィンドウにも作品展示。明石市立中崎小学校で絵画制作、子供たちに絵画指導。ドイツでケルンの男爵から依頼され古城で絵画制作。
1995年 阪神大震災で被災し上海に避難、フラッシュバックで絵画制作不能に。上海三鼎広告動画でアニメ制作に着手(ディズニー『マイティダックス』等)。ケンタッキーフライドチキン中国版CMアニメ制作。ウォルト・ディズニー・アニメーション、ディズニー・ジャパンと正式に制作提携。
1996年 フロンティア・ピクチャーズ(上海福倫地亜有限公司)設立。 『ヘラクレス』制作でディズニー初のノーリテイク以降、ディズニー劇場用アニメ制作開始。
1997年 『101』からディズニーのCGアニメ版制作に移行。劇場 版『春休みだよドラえもん』『ベルセルク』等、多数制作、日本の海外でのアニメ生産に大きく関与。
1999年 静岡市「駿府匠宿」バーチャルシアターの常設アニメ映像など、テーマパークの映像制作。
2002年 フロンティア離脱し帰国、個人作家活動再開。NPO法人FIC(国際創造者連盟)設立会員。博報堂の水墨画Flashアニメ制作など。 バンダイネットワークスとの制作提携が始まる(アイドラマ『サナダ13番館の人々』等)。
2004年 絵本『ねずみのチャーチくん~不思議な旅人からの贈りもの』出版(フィールドワイ)。姉妹編『ポワロック氏の事件簿 第一巻』出版(新風舎)。 「月刊神戸っ子」のセカンドカバー『神戸のチャーチくん』連載とカレンダー制作。
2005年 仙台アノンピクチャーズ/キャラクターデザイン担当のアニメ『Be Rockin’』がTCMアワードBBジャパン賞受賞。姉妹編『ポワロック氏の事件簿 第二巻』出版(新風舎)。その他『探偵いろはとまぼろしの電車』など挿絵・装画多数。
2006年 『Be Rockin’』国際東京映画祭参加。 SkyPerfect BB『私のライフスタイル』で絵画指導。『カタカナで覚える上海語(CD付)』(かんき出版)。コロンビア大学同窓生によるイベント「SIPA60’」で渡米。
2007年 絵本『さつきやまウォンバット物語』出版(池田市観光協会)。上海や広州で商標などデザイン制作。
2009年 『神宝大戦テオスマキア』制作で株式会社RRJのもと東京でバンダイナムコゲームズ社作品の制作業務提携(現在進行中)。故郷で母親の他界。
2010年 ソニーエクスプローラサイエンス企画・連載漫画『サイエンスバトラー』、『テイルズシリーズ』関連イラスト壁紙デザイン等。 BNGバナフェス!バーチャル劇団『華劇』第一作『シャルロッテ』オンエア。
2011年 全デザイン担当『腹探りカメラ』 (©RRJ) アンドロイドアプリ大賞受賞、iCon特別賞ノミネート。『華劇・クリスマスキャロル』等。東日本大震災。
2012年 『華劇・せをはやみ』など舞台制作のほかパンフレット、CD制作。『テイルズ・ダイスアドベンチャー』等、テイルズ関連カードゲームの背景デザインやキャラ作画等の担当。
2013年 神戸にて阪神大震災以来18年ぶりの展覧会開催。
公式WEBページ http://www.charch.net/exhibition2013.html